2007年06月29日

わたしたちの教科書

フジテレビ系列木曜10時から放送されていた「わたしたちの教科書」が昨日最終回を向かえました。

いやー非常によかった!

今問題になっている学校内でのいじめをモチーフに生きることの大切さを訴えたいい作品だったと感動してます。

僕は大学を卒業後、イラストレーターになりたくて就職活動をしませんでした。今から思うとどこかのデザイン会社に就職しているほうが近道だったと思うのですが、まずアルバイトでお金をためて100%、創作に集中できるだけの時間を確保することを目標としました。

住み込みの工場勤務で一日最低16時間、休みも取らずただお金をためることだけに集中していました。住む場所は会社が借り上げた一件の農家でした。ひとつの大きな部屋に5・6人が修学旅行生のようにふとんを並べ、日勤者と夜勤者が交互に利用していたように思います。

半年ぐらいして新しい人が入ってきたのですが、どうしても馴染むことができず結局自分で部屋を借りることにしました。

200万円ほどあった貯金はあっという間になくなり、その後2年ぐらいは貯金をするどころか普通に生活するだけとなってしまいました。

もう一度初心に戻ってやり直そうと別の派遣工として再就職しました。
それから4ヶ月ぐらいしたときに頭がおかしくなり精神病院に入院することになりました。

映画館の前で暴れていたところを警察に保護され、母親が3時間もかけて会社の人と一緒に車で迎えに来てくれました。

不思議と映画館から自宅につくまでの自分の言動は鮮明に覚えていて、自分自身のなかでは理屈がとおっているのですが周りから見るとすごく気持ち悪かったのだろうと思います。

おかしくなった原因はわかりませんが昔から何かをしなければというような使命感みたいなものが人一倍強くて、その時は自分がこの世界を救うべく誕生した救世主だと思ったのです。

そのことがすごくうれしくて病院から友人たちに連絡していたのでほとんどの人がこのことを知っていたと思います。今から考えるとよかったのかもしれません。

10ヶ月間の入院生活を送ったのですが、救世主から単なる精神病患者なんだと理解したときのショックは計り知れないものがありました。

退院してからは外出することさえできず、外に行くのは1週間に1回の通院時だけでした。入院していた時間よりも社会復帰するまでの時間の方がはるかに長く重いものとなりました。

薬をためておいて一度にまとめて飲んだこともありました。大事にはいたらなかったですがいつも死ぬことを考えていたように思います。

今こうして気楽にブログなんか書いていられるのは毎日食事を届けてくれた母親や過去のことに全然とらわれないで以前と変わらず接してくれた友人たちがいたからです。

僕の人生の中で入院することは最初から決まっていたことだとすればこの経験が今後の人生に大きなプラスをもたらすこととなるに違いありません。

「わたしたちの教科書」では孤独でくじけそうになる自分を勇気づけるために未来の何人もの自分の存在をイメージします。

漠然としたイメージではなく明確にイメージすることが必要だとあらためて思うきっかけとなったドラマでした。



kotetsuhudousan at 12:06コメント(2)トラックバック(0)  この記事をクリップ!

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コメント一覧

1. Posted by わかな    2007年06月29日 13:06
教育って何なのでしょうね。東京大学法学部の憲法の教授が痴漢して捕まっていました。ずいぶんと教育を受けて日ごろから人権はだいじだとか教えていた学者が、平気でほかのヒトの人生や人権を破壊している姿に寒気がします。教育者として失格です。この東大教授の受けた教育は、教授というポストについてほかのヒトをいじめる犯罪をやるための教育だったわけで、あきれかえるばかりです。
2. Posted by コテツ    2007年06月29日 14:58
》わかなさん

難しい問題ですね。
この教授は、ヒトの人生や人権を壊す前に自分の人生についてもっと大事にする気持ちが必要だったかもしれませんね。

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